茨城県水戸市出身のレーシングドライバー。モトクロスの名門『城北ライダース』に所属。その後、日産自動車(大森ワークス)とドライバー契約し、ブルーバードSSで四輪デビューしたのが1965年。飛躍的な成長をみせ、4年後の1969年には、6LのビックマシンR382で日本グランプリを出走。高橋国光と組み日産のエースナンバーであるNo.23を走らせた。1970年代はスカイライン2000 GT-R・フェアレディ240Zで参戦。NETスピードカップで優勝。JAFグランプリで2位。ハコスカ50勝目を記録した富士300kmスピードレースでは豪雨の中で驚異的な速さで快走するも、リタイアに終わる伝説を残した。都平はスカイライン2000 GT-Rで4勝を挙げている。フェアレディ240Zで日本グランプリを二連覇し、鈴鹿1000kmでは高橋国光と優勝。